32.設計スタジオについて
- hinakokuga
- 2018年1月20日
- 読了時間: 9分
留学生活において大半を占めていた設計スタジオについての振り返り。
自分の頭の整理・記録のために、ずっとブログに書こうと思っていたのだけれど、なかなかまとまらず、、、以下、何とか書けたは良いけれど、相当読み難い超長文になっています。
設計スタジオの授業では、教授がそれぞれ課題ごとにスタジオを開き、大学のゼミのような感じで1学期間、設計を学びます。20強のスタジオから選ぶことができ、1学期が始まる前に志望を提出して抽選で決まります。
私は、今まで日本で行なっていたアプローチとは全く異なるETHらしいスタジオを、そして改めて基礎からじっくり考えられるスタジオを取りたい、とトムエマーソン(Tom Emerson)スタジオを選びました。ETHでは主に学部生がとるスタジオです。(学部生と言っても、とてもハイレベルで、表現力の高さは特に東大とは比較できないほど高かった)
小手先の技術力以上に、もっと深い真髄の考え方の点でとても学ぶことが多いスタジオでした。このスタジオを取って良かったと心から思います。

↑これがトムエマーソンスタジオのポスター。(各スタジオごとに、課題についてのポスターが張り出されます)
トムエマーソンスタジオは一学期が、大きく1.Garden 2.Atlas 3.Standardsと三つの課題に分かれており、1のプロジェクトではDrawing Team すなわち図面係として庭の設計をしました。2.AtlasではETH駅の周辺から敷地を選び、その敷地の調査を行いました。私はフラビオとRongstrasseというストリートを敷地に選びました。(1.2の課題については以前のブログにdesignstudioのタグ付きで書いています)
3.Standardsの課題では、Atlasの資料を元に、チューリヒ駅周辺に自分たちで課題と敷地を決めて設計をします。2と同じくフラビオと活動していました。フラビオはスイス・ルツェルン出身のETHの学部生で、私と同い年です。
11、12月は主に3.Standardsの課題に追われていました。
この課題、本当に本当に大変だった。。。
まず、コンセプチュアルな点・仮説的な点についてたくさん考えなければならず、内容面がとても難しかった。
そして、私は 緩急つけてやる時はガーッとやるけど遊ぶ時は全力で遊ぶ、140%のパワーの時と20%のパワーの時があるタイプ。フラビオは二ヶ月間ずっと休みなんていらないんだという、ずっと一定の80%のパワーで活動するコツコツタイプ。2人の性格は真反対でした。お互いのペースを擦り合わせた結果、2人とも緩急なくコンスタントに100%以上の出力で活動するはめになりました。笑
私は提出前でなくても遊びに行くときは睡眠時間を相当削らなければいけなくてヘロヘロだったし、休みはいらないと言っていたフラビオも「こんなに働いたの初めてだよ」と提出前に風邪をひくわで。笑
コミュニケーション面・体力面でも難しいことが多かったです。その分、最終的に2人とも満足いく出来に終わって、お互い「君と組めて良かったよ」と言い合った時の感動はひとしおだったのだけれども。
さて、課題の内容について。
「26.スタジオ中間講評について」のブログでも書きましたが、私たちは、チューリヒ駅からウィプキンゲン(Wipkingen)駅までの鉄道を代替路線に移転させ、空いた高架の上に何を作れるか、ということを考えました。
中間発表ではNYのハイラインのように公園を作る案を発表しましたが、教授からの講評で、「公園を作るという結論は早すぎる。もっと都市を作るように設計しなさい」とコメントをもらいました。その後に、都市計画のように、ここを住宅エリア、ここをオフィスエリア、とエリア分けを作り、一部の建築の設計をして教授とのミーティングに持って行きました。
すると、教授たちからは、「このようにただ都市を提案したとしても、それも公園を作りました、というのと変わりない。
都市の全体を作り上げるのは不可能であり、それよりもこの空間を都市として利用することの可能性を提示することが大事なんだ。「何を作る」かの結論を急ぎすぎるな」と。しかもそれを、提出1週間前とかに言ってくる訳です。笑
初めは私は、
...なんじゃそりゃ?と。笑
何も作るな、ということなのか?と困惑。
今まで日本でのプロジェクトでは、何を作るかはある程度決まっていて、そこからいかに良い建築・空間を作るか考えることに時間を割いていました。特に隈研に入ってからは、クライアント(顧客)があってその要望に答える、というようなプロジェクトが大半。学部時代は建築史・都市史の伊藤研に所属していたし、卒業制作も大きなスケールだし、隈研でも西条の糸プロジェクトのマスタープランに携わったり、都市スケールのプロジェクトにはなるべく積極的に取り組んでいたつもりです。
でも、「クライアントは全市民で、建築を作ることから疑問を持つ」というスタンスで設計に取り組んでいたことは、なかなかなかったなぁ、と。(卒業制作では似た意識を持って設計していたけれど)
頭で理論として考えていることと、設計において乖離があったというか。今回、それがどーんと、相当大きな壁として立ちはだかってきました。
しかし、何度も何度も、フラビオや教授と話していると、「何を作るか。作らないのか。の結論を急がない」ということは今の現代社会にあっているな、と思えてきました。
そして、同時に、「作ること」を学ぶはずのスタジオにおいて「作らないこと」も考えるというのは、とてもスイスらしいなと感じました。
そう思ったのは、スイスの建築事情にもよります。スイスは直接民主制なので、全て投票で決まります。それなので、建築の工事もしょっちゅう止まるそう。
建築を建てる前は、Baugespannという名前のポールを立てます。

↑これがBaugespannです。(https://www.hochparterre.ch/nachrichten/presseschau/blog/post/detail/landschaftsinitiative-vor-dem-rueckzug/1330681034/より)
建設予定の建物と同じ高さです。
これを立てることで、どれくらいの建物が建つ、ということが一般市民にも見てわかります。それを見て市民からの反対があったら、そのプロジェクトが頓挫することも少なくないとか。
たとえ1つの建築であっても、景観を作る大事な要素であって、市民にその是非を考える権利がある、という訳です。
都市スケールのプロジェクトであったら、尚更のこと。
でもそれは、スイスだけにしか当てはまらないことではない、と感じました。(「スケールが小さくても全ての建築は市民に対して責任がある」という点は私は一部懐疑的でもあるので、とりあえずは都市スケールのプロジェクトにおいてのみ)
オスマンがパリの都市を作った時代と今は違い、都市スケールのプロジェクトに対して、政治家や建築家だけの決定権がある時代ではなくて。「権威による都市計画」というトップダウン式は、既に成熟度の高い都市(特に「民主主義」の国家)においては不可能で。そういう時代に、建築家が都市に対して何ができるのか?と考えなければならないのだな、と。
フラビオの、「何も建てなくて良い。ただ既存の断面図を提示するだけで良い」という意見には、「それでは建築家は都市に何もできない、と放棄することに変わらないじゃないか?」と話して一緒に考えたり。「ストーリーを作るだけでいい」という考えには、「私たちは小説家じゃないんだよ!」とキレたり。笑
ここに書ききれないほど何度もなんども話し合いました。
最終的に私たちは、
1.新しい地面(platform)の提案
2.既存都市と二つの高架の上(=新しい地面)を繋ぐ階段・及びランドマークタワーとしての建築の提案
をしました。
1では現在、線路として使われているこの高架の、線路や鉄道関連機器を取り除き、基盤を整理することで新しい地面の提案をしました。現在この高架上を通っている路線の代替路線も考えました。
ここの土地としての利用価値を提示しています。(今回のように代替路線の方がいいと考えられる場合だけでなくて、将来交通機関の形が変わったら、さらに至るところで「線路跡地の高架上が浮く」という事態があり得るのでは?)
2は、この高架上空間に街からアクセスすることができるようにした階段です。三箇所設置します。階段と言っても、ランドマークとして機能するデザインにし、遠くからも見えることで、この空間に気づくことができます。(もし将来高架上に都市が作られたら、玄関・入り口の門として機能します)
また、登った場合、この新しい地面の全貌を臨むことができ、ここがどう使われるべきか人々が見て考えることを可能にします。
2があることで、何もないぽっかりと空いた空き地のような1が意味を持ちます。もちろん、公園のような機能を持たせますし、それだけでなく、Baugespannも一部建てたりして、たとえばここに建物ができて街が立ったらどうなるかや、ここがNYハイラインのような公園になったらどうなるか、など人々に想像を促します。
すなわち空間と可能性を提示し、議論を生むための建築です。
私たちが提案したものは、ここがゴールではない建築です。むしろ都市の出発点としての建築です。
以下、制作したものについて。
最終発表ではボード数は皆3つ与えられました。ボードに加えて階段の模型と3つのbookletも作りましたが、基本的には最低限の情報を伝えるだけのシンプルな作りになっています。

↑全体像。

↑発表の様子。笑

↑模型と、ヒストリーのボード。近くの線路跡が活用されている写真や代替路線で根拠を示したり、私たちのスタートポイントのAtlasのシートを提示したりしています。

↑将来図のボード。上は公園案で、下は都市案。どちらにもなり得るよね、と可能性を提示しています。
写真だとだいぶ汚くみえてしまいますが、何枚もトレーシングペーパーに重ねて描いていて、都市は一度にできるものではなくて、何層にも重なってできて行くことを暗示しています。

↑高架と階段と周りの都市の断面図と、イメージパースと、階段の断面図と、アクソメ図。私たちのデザインについてのボードです。

↑3つブックレットを作りました。
写真だと分かりにくいので、いくつかピックアップ。

↑都市将来図。高架上に都市ができたら、という想像の絵です。

↑断面図。瞬間瞬間の周りの都市との関係をいくつか示すことで(点をいくつも提示することで)、全体の線としての空間を想起させます。

↑イメージパース。

↑アクソメ図。構造や階段の図。この外装の模様は、手摺と構造のネットからできたパターンです。

↑模型写真。素材はカーボンボードで作っています。

↑建築の昼と夜のイメージレンダリング画像。
発表後、教授からは「シンプルだけど洗練されてるね」「野望的(ambitious)な案である」「知的(intelligence)である」などのコメントをもらいました。(他にも細かい点は色々言われたのでけど、さらに超長文になってしまうので割愛。)
トムエマーソンが、わざわざ発表後に、私たちのところに来て「Well Done!」と言ってもらった時は、嬉しかったです。
とは言え、もちろん、この案(と私の考え方)には未熟な点がたくさんあります。
そして正直、この案は賛否両論が激しいだろうな、と。笑
でも、都市について今建築(及び建築家)が何をできるのか、という課題について、学生という時間があるときに、異国の地でその国の人とじっくり考えて、教授やたくさんの人と議論することができて良かったなぁと思います。
また10年後くらいに自分にこの問いについてどう思うか聞いてみたいな。
いわゆる分かりやすい「形」があるわけではない建築のプロジェクト。脳がひっくり返るほど頭を使って、とても勉強になりました。
隙間時間に他のスタジオも覗けたので、自分のスタジオ以外にも触れようかな、と思ったのだけど、手が痺れるほど長い語りブログになってしまったのでこのあたりで。
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